函館山攻略法(昼間編)-後編

見晴台

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戦闘司令所をあとにし、原っぱの踏み跡をたどって進むと、突然眼下に広場が現れます。見晴台と呼ばれるいわばピクニック広場。ここには休憩用の四阿やトイレを完備。しかもこのトイレは水洗というから驚き。どこから水を引いているのでしょうか? 函館山に入るには幾つものルートがありますが、ここに至るには早くても1時間以上はかかります。にもかかわらず水洗トイレを設置するというのは、函館市民に愛されている山であり、登ってくる人がいかに多いのかを如実に現しているといえるでしょう。

下山そして碧血碑(へっけつひ)

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見晴台でひと休みした後は、いよいよ下山となります。ここまで登り開始から4時間が経過していました。この先、駐車場に戻るには1時間を要するので、昼の函館山を満喫するには5時間は必要ということになります。1週間の夏休み北海道の旅でちょっと立ち寄ろうか、というわけにはいかないスポットですので、函館ONLYの旅を企画してぜひ訪れて頂きたいものです。さて、ここからは七曲がりコースという、函館山でも最も足場の悪い道を下り、箱館戦争の慰霊碑「碧血碑」を見、宮の森コースを経て駐車場に戻ります。残り3,400mです。頑張って歩きましょう。

見晴台から下山コースへ進むと、巨大な電波塔が現れます。これに気を取られるとコース入口を見逃します。コースはピンク矢印の方向です。判りにくいです。

しばらくつづら折りの岩が露出する悪路が続きます

後半部になると道幅は狭いものの、歩きやすい状態に

降り始めてから30分ほどで車道に出会います。降りてきた登山道を振り返った写真です

舗装路を500m進むと碧血碑へ至る遊歩道の分岐に出会います。碑までは260mです

函館戦争の際、官軍と戦い戦死した旧幕府軍約800名の霊をまつる慰霊碑で、1875年(明治8年)に建立されたものです。この碑は戦争終結の7回忌に、大鳥圭介や榎本武揚の協賛で造られ、碑銘は大鳥圭介の書といわれています。まだこの当時、旧幕府軍の霊を公然と弔うことができず、台座裏にわずか16の文字で建立の由来を記しています。かなり鬱蒼とした森の中に建っており、日中でも背筋に寒さを感じるところです。建立の経緯や、碑銘が歴史的人物の書であることなどから、訪れ甲斐のあるスポットですが、それは歴史マニアであればこそ。日本史に疎い人は訪れないでしょうね〜。

碧血碑を建立したのは、柳川熊吉という人物。江戸は浅草の生まれで、1856年(安政3年)に渡道し請負業を営み、五稜郭築造工事で作業員を供給している。1869年(明治2年)に箱館戦争が終結すると、新政府軍より「賊軍の慰霊を行ってはならない」という達しに憤慨し、実行寺の日隆住職や大工棟梁の大岡助右衛門と共に、子分や住民と遺体を回収し、実行寺に埋葬している。これにより軍事裁判にかかられ死刑判決が出たが、熊吉の意気に感動した新政府軍、田島圭蔵の計らいで断罪を免れ、放免されている。

柳川熊吉は、1871年(明治4年)函館山山腹に土地を買い、遺体を改葬し、1875年(明治8年)に、この「碧血碑」を建立。「碧血」とは、「義に殉じて倒れた武人の血は、三年たつと碧色になる」という中国の故事が由来。碑銘は大鳥圭介(中村正直説も)の書と言われている。

1913年(大正2年)、熊吉88歳の米寿に際し、有志により碧血碑の脇に寿碑が建てられた。

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碧血碑を見終わると残り1、200mのコースを淡々と歩きます。このコース上に特段の見所はありません。最後の最後に、けっこう登り降りのきついコースを歩かされます。ただただ帰るという一念で歩くだけです・・・・5時間お疲れさまでした。

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