北海道の相撲資料館では一番立派です〜横綱千代の山・千代の富士記念館

最近亡くなった(2016年7月31日)千代の富士の記念館、相撲ファンなら必訪

北海道には、往年の力士の記念館が3施設ありますが、その中で最も規模が大きいのがこの記念館。千代の山と千代の富士は福島町出身で、両人とも横綱であり、師弟でもある。1997年(平成9年)に開館した時点で、千代の富士は存命しており、千代の山はすでに亡くなっていた。千代の山は相撲ファンであれば知る人もいるでしょうが、一般には無名に近い横綱でしょう。優勝も幕内では6回と多くはない。しかし、九重部屋と聞けば多くの人が知るところ。館名にもなっている千代の富士を輩出したのが九重部屋で、その初代親方が11代九重・千代の山である。千代の山が親方の時に北の富士が横綱になっており、その北の富士が九重部屋を継いだ時に、千代の富士が横像になった。簡単に説明するとこんな感じですが、相撲の世界は我々一般人にはよく理解できない掟やしきたりがあり、実際には複雑な経緯にまみれています・・・・。

さて、肝心の館内ですが、両横綱の所持品や優勝額を中心に展示があり、名場面を見られるビデオシステムなど、本気で見出すと何時間かかるか判らない。また、順路の最後には九重部屋の稽古場を再現した土俵があります。実際に九重部屋の夏合宿に使用されています。その脇には、初代親方千代の山直筆の部屋看板が掲示されています。館の規模は大きいのですが、内容的には、弟子屈町川湯温泉にある「大鵬相撲記念館」の方が見応えるかなぁ〜。

千代の山 1926年(昭和元年年6月2日 〜1977年(昭和52年)10月29日
1942年(昭和17年)に出羽海部屋へ入門。1949年(昭和24年)10月場所で大関へ昇進。13勝2敗で北海道出身力士として初優勝を飾る。1951年(昭和26年)5月場所で3度目の優勝を挙げ横綱へ昇進。第41代横綱。1957年(昭和32年)1月場所の全勝優勝が最後となり、幕内優勝は6回だった。1959年(昭和34年)1月場所で引退し、年寄・11代九重を襲名。横綱在位数32場所は当時の歴代1位であった。1967年(昭和42年)九重部屋を創設。それから10年後の1977年10月、肺ガンにより死去。まだ51歳の若さだった。

千代の富士 1955年(昭和30年)6月1日 〜 2016年(平成28年)7月31日
第58代横綱。漁師を営む家に生まれ、子供の頃から家業の手伝いをしており、足腰が鍛えられたという逸話が残る。1970年(昭和45年)9月場所初土俵。1975年(昭和50年)1月場所より「千代の富士」に改名する。この時16歳。千代は親方千代の山から、富士は横綱であった北の富士から取ったもの。並の逸材ではなかったことがこのことからも伺える。1980年(昭和55年)9月場所で小結として二桁勝利、以後、引退するまで皆勤場所はすべて二桁勝利している。1981年(昭和56年)には、関脇→大関→横綱と一気に昇進し、すべての番付で優勝するという快挙を成し遂げた。1989年(平成元年)には、通算勝ち星の新記録を樹立し、国民栄誉賞を授賞する。1991年(平成3年)5月場所にて3日目に2敗を喫すると現役引退を表明。「体力の限界で・・・引退します」という名台詞を残す。2016年(平成28年)7月31日、東京大学医学部附属病院にて膵臓癌のため死去。享年61歳。通算勝ち星1045勝(歴代3位)、横綱在位59場所(歴代3位)、幕内優勝31回(歴代3位)。

 

メインのほか、通路にも展示が並びます

別の通路の展示状態

通路にある映像機器。名取り組みが見られますが、数が膨大で、すべて見ると何時間かかるのか?

メインの展示室は広くゆったりしている

最下階には九重部屋の土俵を再現。夏合宿で実際に使用されており、一般公開もしている。掲げられている額は千代の山直筆のもの

土俵の奥にある映像はなかなか見応えがあります

隣接の商店街には

交差点のタイルが土俵に!

街灯には軍配が!

【住所】松前郡福島町福島190
【電話】TEL:0139-47-4527
【入館料・料金】500円/青函トンネル記念館共通券700円
【営業・開館時間】9:00〜17:00
【定休日・休館日】期間中無休/12月1日~3月16日休館
【滞在目安時間】30分
【駐車場】あり/無料/隣接の道の駅を利用

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