函館山の麓にある青函連絡船殉職者慰霊碑

函館山の自動車登山道路口に、青函連絡船海難船と殉職者の慰霊地がある

太平洋戦争で撃沈された青函連絡船とその乗員の慰霊のため、1953年(昭和28年)に、青函連絡船殉職者功績顕彰会(青函連絡船の船員がメインの会)により建立された慰霊碑です。しかし、奇しくもその翌年に洞爺丸台風海難事故が発生し、その殉職者も合祀されました。建立当時は、悲惨な戦争への回顧の念を持つための目的であったものが、よもや日本最大の海難事故殉職者までもが祀られるとは、夢にも思わなかったことでしょう。小さな公園を呈したところで、慰霊碑の傍らには沈没した連絡船の船底がはめ込まれた「殉難船碑」や「国鉄青函連絡船の航跡」碑なども置かれています。青函連絡船海難の慰霊碑といえば七重浜の洞爺丸慰霊碑が有名ですが、函館山の麓にもあるというのはほとんど知られていません。もしも、クルマで函館山に登る予定があれば、ちょと時間を取って立ち寄ってみてはいかがでしょうか。ちなみに、重苦しい空気感とか鬱蒼感は一切ありません。

青函連絡船空襲
1945年(昭和20年)7月14日・15日、8月10日、太平洋戦争末期。空母エセックスを旗艦とする、アメリカ海軍機動部隊の艦載機による青函連絡船空襲が行われた。7月14日の空襲では、翔鳳丸・津軽丸・飛鸞丸・第二青函丸・第三青函丸・第四青函丸・十青函丸が撃沈、松前丸・第六青函丸が炎上、第七青函丸・第八青函丸が中破航行不能、7月15日、第一青函丸が撃沈、8月10日には亜庭丸が撃沈され、3回の空襲で、青函連絡船はほぼ全滅という大損害を受けた。日本側からの迎撃は一切なくやられ放題だったという。また、沈没船から脱出し海上に浮いていた生存者へも機銃掃射が行われたという証言も残っている。兵士も民間人も区別のない攻撃。現代は考えられない戦争をしていたのである。

洞爺丸台風海難事故
1954年(昭和29年)9月26日、北海道を直撃した台風15号により、青函連絡船の洞爺丸・十勝丸・北見丸・日高丸・第十一青函丸が遭難。洞爺丸は転覆し乗員乗客の死者1,155名。十勝丸は転覆沈没59名殉職。北見丸、沈没70名殉職。日高丸、転覆沈没56名殉職。第十一青函丸は、船体断裂による沈没で乗員90名が全滅した。当時も気象庁による台風予報はあったものの、気象衛星などはなく、台風が過ぎ去ったとの判断で出港。ところが防波堤を出た直後に猛烈な波浪により停船。投錨するも耐えきれず転覆沈没した事故だった。

 

函館山登山道路口にあるが、専用駐車場はないため、手前の登山者用駐車場を利用する

遭難船の慰霊碑なども片隅に

敷地はさほど広くはなくポケットパークのような雰囲気

【住所】函館市函館山12
【電話】TEL:0138-27-3333/函館市元町観光案内所
【開場・休場時間】特に規制なし/立入自由
【滞在目安時間】15分
【駐車場】近くにあり/無料/トイレあり

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